兄さんと親しんで呼ばれていることが嬉しい
介護という現場を考えた場合、やりがいばかりしかないといってもいいのではないでしょうか。
人と接している仕事であり、介護をしなければいけない人をお手伝いするのですから、とても重要なことでしょう。
これをやりがいといわなければ、世の中の仕事は何もやりがいがなくなってしまうはずです。
現状を見ると、これほど大変な仕事はないのかもしれません。
やりがいというよりも、辛さが先に着てしまえば、辞めてしまうことにもなるでしょう。
私もつらいと思ってはいますが、兄さんと呼ばれたりすれば、そんな辛さも消えてしまうことだってあるのです。
つらい思いだって多い仕事
私にとってのやりがいの一部でもあるのは、なにも方向も見つからなかったときに比べ、すべての行動に意味が出てきたことにもあるかもしれません。
介護のお手伝いをし、体の疲労を覚えたとき、自分が頑張っているなと感じることができます。
それも、介護が必要になってしまった人のために、自分がお手伝いをしていると思えるからこそ、やりがいとして感じているのです。
逆につらい思いをすることだってあります。
精神的に止んでしまっているような人もいますし、明らかに気難しい人だっているのです。
そんな人たちに接する時も、自分はいったいどうすればいいのかを考えます。
その考えの一端でもうまくいったときにも、やりがいのある仕事だなと、再発見することができるでしょう。
小さなことの繰り返し
本当は、笑顔を見られる喜びとか言えばいいんだと思います。
笑顔というのは、最終兵器みたいなもので、みんな平和になったりする方法です。
確かに笑顔が見られることは、大きな喜びにもつながるでしょう。
ですが、これって結果になるわけです。
私はどちらかといえば、過程を充実することができるのであれば、ちょっとぐらい結果がずれてもいいと思っています。
笑顔が見たいというより、笑顔になってもらえるように段取りしたりすることができるというのは、やりがいといっていいのでしょう。
頑固な人も多い年代なので、笑顔になってくれなくても、なんとなく伝わるときだってあります。
そんな心の部分があるからこそ、続けて行けているんだと思うのです。
なかなか難しい部分がありはしますが、なんとなくでも心って伝わってくるではないですか。
だからこそ、通称でも兄さんと呼んでもらったときには、やっていて良かったというよりほっとできるのです。
私にとっては、やりがいを感じる瞬間は。そんな大きなことではないんだと思っています。
日常のほんの小さなことが、やりがいということにつながっているはずなのです。
説明が難しい部分ではありますが、ちょっとでもわかってもらえればいいかなと思います。